“馬貴派八卦掌練功暦半年の人の易筋経講習会感想文”


講習会の記録なんですが、どの様に書けばいいのか
悩んでます。メモ帳をそのまま写すのか、報告書みたくするのか。


幾度か書き直したりしつつ、結論として
「この講習会に参加してどうでしたか?」という質問に
答えるような、感想文形式で行こうと思います。
というわけで“馬貴派八卦掌練功暦半年の人の感想文”です。
(前に書いたものも消してしまおうかと思いましたが、サンプルとして残しておきます)



先ず、講義を受けて深まったのは『中正』の理解です。

『中正』が大事といわれても、何故なのか。易筋するためには何故『中正』なのか。半年前に易筋経の講義を受けて、『膜に気血を充実させてを筋を養う』ここは理解出来ていたのですがその前提である『中正』の意味に関してはあまり理解出来ていなかったんです。


「『中正』によって気血が一つに合わさる」。


『中正』の目的とは散じている気血を一つに合わせる事。一つに合わさる事で養える。ここが理解出来ていなかったんです。言葉としては半年前に聞いているはずですが、そうか!とは思えなかったのです。
“『中正』とは具体的にどのようなものか?”これも「真っ直ぐ、肩や胯が水平に揃う」といった理解だったのですが、新たに「『中正』には心・身の『中正』がある」ということを理解したんです。


心・身の『中正』とは精神の均衡/身の均衡である。


精神の均衡とは、一言で言えば「リラックスした、何れにも偏らない精神状態」
身の均衡とは、「含胸亀背下端腰・両眼・肩・胯の水平」


僕は精神の均衡を理解していなかったのです。これも言葉としては聞いていて、しかしそれを理解するまでには至っていなかった。『焦りが気血の集まりを妨げる』と八卦掌講習会記録に書きましたが、これが逆に「精神の均衡と気血の合」関連を示していると思います。



さらに中正という原理から見れば、馬歩=走圏と理解しました。
易筋経の起勢?と熊形走圏の姿勢はだいたい同じで、両者の動作/姿勢の意味から考えるに得られるものは同じである、と。易筋経も走圏も、先ず散じている気血を一つに合わせる。ここは同じなんですね。易筋経の場合は、合せた気血を鍛える部位(上・中・下)に集中させ、動かす事により膜を充実させ筋を養う。


上盤・中盤の易筋ですが、正直なところ上盤の易筋を行ってもあんまり充実感が無いです…やり方がおかしいのか、気血が分断されているのか。一方中盤の易筋ではキツイというか非常に充実感があります。以前は兎に角馬歩が辛いだけで何にも、「充実感とかってなんやねん!」とツッコミ入れたくなる感じでした…ここも少し進歩でしょうか。ちなみに普段の練習で1時間ほど走圏(休憩挟みつつ)してから上盤・中盤の易筋を行うと、キチンと上中同等の充実感を感じます。


総合すると「体内感覚が変わった、理解が深まった」です。


ということで感想文を終わります。次の参加は初心者向八卦掌講習会(7/13)です。